新潟市議会 2022-12-14 令和 4年12月定例会本会議−12月14日-05号
江戸時代では、し尿は肥料の原料として取引をされていましたし、かまどの灰を買い集める業者もいたそうです。 ア、土と微生物の力を借りて発酵させ、有機肥料へと生まれ変わらせる取組が全国でも紹介され始めていますが、化学肥料の低減とともに有機肥料へシフトチェンジする取組が必要と考えますが、いかがでしょうか。 ○議長(古泉幸一) 三阪農林水産部長。
江戸時代では、し尿は肥料の原料として取引をされていましたし、かまどの灰を買い集める業者もいたそうです。 ア、土と微生物の力を借りて発酵させ、有機肥料へと生まれ変わらせる取組が全国でも紹介され始めていますが、化学肥料の低減とともに有機肥料へシフトチェンジする取組が必要と考えますが、いかがでしょうか。 ○議長(古泉幸一) 三阪農林水産部長。
過去の疾病の歴史を見ますと、大正時代の約100年前のスペイン風邪、明治、江戸時代でのコレラ、天然痘に至っては7年に1回大流行があり、多くの子供たちが亡くなった過去があります。
古町芸妓の練り歩き江戸時代の古町のにぎわい再現を開催し、史実を基にした新たな魅力創出を図りました。 次の歴史情報発信事業は、本年2月に文書館開館記念として、元総務大臣で早稲田大学大学院の片山善博教授より、公文書館を地域の知と歴史の拠点にと題して文書館、公文書管理行政の意義等の講演をいただき、文書館開館等の市民周知に努めました。
江戸時代に徳川幕府の財政を支えた歴史の現場が、今もその姿を残していることは大変な価値であり、史跡佐渡金山の坑道を実際に歩き、西三川ゴールドパークでは砂金採りを体験することで、2つの構成資産の金生産システムが全く異なることも実感できました。
〔三富健二郎政策企画部長 登壇〕 ◎政策企画部長(三富健二郎) 新潟港は、江戸時代に北前船の寄港地として発展を続け、明治元年には開港5港のうち唯一の川港として開港し、幾多の難局を乗り越えながら、港を核としたまちづくりを進め、都市の拠点性を高めてまいりました。
〔小野照子議員 登壇〕 ◆小野照子 もともと江戸時代からあって、そして最初は近くの西方寺さんが持っていたところ、今部長がおっしゃった、鳥のふんとか、鳴き声とか、臭いとか問題が起きてきて、なかなか管理ができないというところで市が管理するようになったという経緯を、私も改めて確認できました。 本当に広大な土地で、ドローンでも飛ばさない限り全体を見ることは不可能な感じですよね。
寺町は、これまで幾度となく訪れている飛騨高山のような江戸時代の面影が薫る歴史と文化を凝縮した色彩の統一が取れた町並みが実現できる素地があると認識しており、目指すべき姿として、これまでも様々な場面で事例として紹介してまいりました。
いわゆるよい子、いい子に育てるというのの定義がありまして、戦前は戦後も基本的には国のためになるような大人になりなさいとか、戦前であれば大将になれとか、いろいろそんなことが我々も言われてきた覚えがありますし、燕市の教育立市宣言も行われていまして、それをちょっと見ていきますと、人をまちづくりの原点として、市民とともに豊かな人間性、創造性を備え、郷土に愛着を持った人づくりを推進するというふうに書いてありまして、江戸時代後期
次に、八木山宿本陣の建物についてでありますが、会津街道の宿場として栄えた町内の各地にあった本陣で、江戸時代からの建物が残っているのは八木山だけです。所有者から町に寄贈したいという旨の話があったと仄聞しました。町はこのことをどう考え、どう対処していくのかお聞きします。 ①実川集落の五十嵐邸のように、国や県または町の文化財登録をして保存することはできないのか。
特に今の本市は、例えば、江戸時代から明治初期、もう昭和の時代を保存しなければならないような対象になっているので、まだそういう部分を多く抱えています。ここを一気になくさないで、対象を近代、四、五十年前までに戻して、大切に育てていけば、20年後、30年後には非常に大きな財産になります。なので、改めて今回ぜひ強調していただきたいと思います。
石垣の状況もいろいろ災害とか地震とかありますので、どうしても江戸時代、もう何百年もたっておりますので、22ミリですか。本当に今後も、今年度から3年間の継続して調査するということでありますが、ぜひ今後とも城下町新発田のシンボルとも言えるお城でございますので、しっかり管理していただきたいと思います。 それと、質疑するのを忘れたんですけども、健康長寿について簡単にさせていただきます。
歴史博物館が代表例ですが、例えば今回、江戸時代に活躍した画家を題材にした、幕末の絵師展というものを開催していますが、いわゆる新潟独自の過去の文化に焦点を当てて展示する企画も行っています。決算特別委員会でも少し話をしましたが、昨年度の五十嵐浚明展が國華賞という賞を頂くなど、現場では一生懸命取り組んでいますが、やはり少しPRが不足している点も否めないというのが所属長としての実感です。
五十嵐家住宅は、江戸時代に建築された山村住宅の実例でありまして、過去には様々な文人墨客が訪れていました。また、周辺には豊かな自然景観が広がっていることなどから、観光資源としての要素も持ち合わせていますので、保存のみならず、その価値を多くの方々へ普及、啓発するために、活用の面からも検討していく必要があると考えているところであります。
コロナ禍前に企画され、感染禍の影響から中止された古町芸妓の練り歩きが昨年10月31日に復活を果たし、江戸時代の古町のにぎわいが再現されました。コロナ禍でもできることに挑戦することは重要です。スポーツにおいても、シティマラソンの開催は、感染禍を乗り越えたあかしとして位置づけたいところであります。また、アーバンスポーツ全般についても、議論を加速する必要があると私は考えます。
また、その成り立ちを知り、雪国に暮らす人々の知恵と共助の精神が形となって、江戸時代から現在に至るまで連綿と受け継がれてきたことに、深い感銘を受けました。その後、雁木町家の景観の維持、保存に尽力されている市民団体の活動に参加し、地域のコミュニティーが雁木を守り、今に伝える力となっていることを実感いたしました。
それは上杉謙信公時代、そして、江戸時代では松平光長時代、ここが非常に興味を持っておりまして、それに負けないようなまちをつくるべきだと、こう私は思ったことがあります。そして、世の中のいろんな動きは、不易流行という言葉にあるように、変えてはならないものと変えなければならないものがあります。これが私の政治信条であります。時代に合うように改革を断行すると、これが不易流行であります。
それで、ずっと私も10年近く商店街の中にいさせていただいて、一番思いますことはもう江戸時代の時代からあの皆様は掛け売りもして、そして宅配もして、あらゆるサービス事業をやってきて、それで大型店舗ができたときにはどうしようかということで、やはり皆さん方は支店を持ったり、違うところに何かチェーン店を持ったりということで、ありとあらゆることをされてきたというふうに思っています。
国上寺本堂は、江戸時代中期の享保3年、1718年に再建された近隣に類を見ない貴重な建造物で、その境内地には各種の建造物、天然物が点在し、古い伝説も数多く残っております。こうしたことから国上寺本堂及び境内地は、昭和53年5月15日に分水町の指定文化財に指定され、合併後、燕市指定文化財として引き継がれたものであります。
雁木は、豊かな歴史が息づく豪雪地である当市を代表する建物、景観であると同時に、雪国に暮らす人々の知恵と共助の心が形となって、江戸時代から現代に至るまで受け継がれてきた、歴史的、文化的に高田を代表する貴重な地域資源であり、そうした自負を持つ中で次代につないでいくものであると考えてございます。
ゴールデンウイークに、土堀にある江戸時代の庄屋で国登録有形文化財、坂田家住宅が一般公開されました。私は、最終日にお邪魔して保存する会の代表の方からガイドしていただきましたが、初日には五泉市の専門知識を有する職員の方が説明に来られ、五泉市文化財の指定を受けた考察について説明していただいたんだとうれしそうにお話をされていました。